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独自の指導を展開

研数学館は、なんと百年の歴史を持ちます。遠藤周作氏のエッセイにも登場するほど、伝統のある予備校です。ほかにも、多くの文化人を輩出しています。それなのに、いや、それゆえに、多校舎展開をせず、東京(水道橋)と津田沼で、堅実に、独自の指導を展開し、受験生の信頼を得ています。ハードウェア(設備やシステム)の充実ばかりでなく、最終的に、「人」自身を進歩させる指導を展開しなければ。学習成果もありえないでしょう。そういった、人材教育的なポリシーをしっかりもっていることが、カリキュラムのなかにもうかがわれます。たとえば、合理化、システム化をはかる予備校では考えられない、「講義+個別指導型」などといった独自の講座(「スモールゼミ」など)を実現させています。準大手特有の、講師と生徒の距離の近さもあります。講義が終った直後に、ノートを片手に質問にくる生徒がいて、それに講師は、即応します。「そんなの、どこでもそうじゃないの」出身者は、そのように驚きますが、「そうじゃない」予備校は、じつは、あります。

親子のコミュニケーション

人間には、その時期に応じた、頭の器の大きさというものがあるような気がする。これは長い間、子どもを教えていて、最近特に感じることだ。つまり、大きさの決まっている頭の器に無理やり多くの知識を詰め込んでも、その器はすぐ満杯になってしまうということである。一定の大きさの器しかないのに、その器に期待をかけて、一生懸命勉強させようとする親がいるが、せいぜい器がひびわれるだけで、よい結果にはならない。子どもは情緒不安定になり、自信を失って意欲が減退するに違いない。親子げんかが続き、学力は低下し、ますます勉強が嫌いになってしまう。ついには不登校になることもあるだろう。自分の子どもの頭の受け皿がどの程度の大きさなのかは、なかなかわからない。しかし、親子のコミュニケーションをよくとっている家庭では、ある程度はわかってくるはずである。

なぜ公立学校は受験に不向きなのか

なぜ公立学校は受験に不向きなのか。最近の公立学校、特に高校における学力の低下は、はっきりとした傾向として現れています。それを裏付けているのが大学受験における合格者数。実際に、有名大学の合格者内訳でも私学の生徒が多くを占めており、名門校たった公立校は凋落の一途をたどっています。公立校の地盤沈下は、受験に限らず、質にも現れており、校内暴力などさまざまな問題が噴出しています。最近では、小中学校で学級崩壊が起こっているありさまです。それにしてもなぜ、そこまで公立学校の機能が低下してしまったのでしょうか。背景には、いろんな要素が絡んでいるのでしょうが……「受験だけが高校生活ではない、クラブ活動や人間として自由に考え、行動する高校生活があっていい」。このようなポリシーの学校もあります。しかし、このような学校に限って、「しっかり受験勉強をして、目標の志望校に合格したい」と思っている生徒に対して、学校側が必死で受験指導をしてくれるケースは、ほとんどありません。受験志向の生徒にとっては、何も応えてくれない自由放任の公立高校も多いのです。なぜなら、受験指導というのは、手間、暇、エネルギーを要し、神経を使うものなのです。